7/18(月祝)快晴
メンバー…10名 見学…なし



これまで日記を担当したことは数回あれども、ここにきて初めてM&Sを唱えることになった川上です。
初めて白状しますが、ああいうのを唱和するの実は大嫌いなので毎回ずっと息をひそめておりましたが、ついに当てられてしまい、暗唱できていないどころかこの世の終わりかと思うような暗い声で一日のスタートを切ってしまうこととなり、きっと「一体何なんだ??」と思われたであろう浜田さん・皆様、大変申し訳ありませんでした^^;


今期初のマリエン。節電の影響で空調の状況が心配される中、結論から申しますと、「寒い」&「暗い」です!!!
ということで、取引的交渉をしました。
「あのー・・・もうちょっと設定温度を上げて頂いて構わないんで、その代わりと言ってはなんですが電気をもう少しつけてもらうことはできますでしょうか・・・?」
と、Informationのおねいさんにお願いすれば、何度でも暑いとか寒いとかに快く対応してくれました。
でも冷房は実質ON・OFFかしか選べないみたいなので、切ってしばらくすると妙にあたたかくなります(←寒かった人の体感表現です)。
8月にまたマリエン練があるので、とくに女性は羽織るものを一枚持っていって、小まめに空調調節をお願いするのがよいと思います。


午前中から結局15時くらいまでかかって、まずは「アンパンマン」のコンテをやりました。
楽しげな曲調に反して、細かい拍割で結構難易度の高い「アンパンマン」。本職(?)のぱんこさまも「あへ~~・・・!!」となるくらい大変です(><)
とはいっても『RENT』の壮絶コンテをくぐり抜けてきた今日のメンバー、なんでそんな何時間もかかったのか、というか、かけたのか。

その理由は浜田さんから説明がありました。
今回の『do-LIVE!』は、まだ避難者の残っている体育館で演奏をすることになりそうで、上から見てもらえる訳でもなければ、そもそも形で魅せるにはあまりに狭過ぎるコンテしかできない。
だから、FCとか足の切り替えし等のキレや統一感といった、一人ひとりの細かい動きの美しさでしか面白さを表現できない部分がある。
そしてそれは新しいことは一つもなく、いつも言っているロママーチングの基本を忠実に行うこと。だから、とくにロマ初心者ではないメンバーには他の人にも伝えられるようにきちんとマスターしてほしい。
ということでした。

ところで、「アンパンマン」の歌詞、みなさんご存知ですか?
通常アニメ主題歌で流れている1番と思われているものが本当は2番で、1番の歌詞はもっと素敵です。
子ども向けのアニメながら「生きることの痛みとよろこび」を真っ直ぐに問いかけたとても哲学的な歌詞だと思います。
コンテサイズとは異なりますが、知らない方はぜひ聴いてみてください↓。
http://www.youtube.com/watch?v=BUGh-7Y5kZA


実に余談ですが、本日は奇しくも私のうんじゅううんさいの誕生日でございました。
サプライズを企画してくださった浜田さん、カワイイおさるさん顔のケーキを買ってきてくれたレナお嬢様、そして一緒にお祝いをしてくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m
体育館のドアがおもむろに開いた瞬間、私はまた誉さんが登場するのかと、いつぞやのデジャブ的錯覚に陥りました。ケーキ、とても美味しゅうございました。
それにしても、マジパンプレートの[ サザン♪ ]って・・・^^;;;;
有り難いことに、ボーっと生きてたので気づいたら(かぞえで)厄年終わってた?って感じです☆


夕方からは、今日の全メンバーが揃ったところで合奏に入りました。
主な曲目とそのコンセプトは昨日分の練習日記にまみこさんが書いてくださっているのを参照してください。

とくに、「BLUE DANUBE」~「Tropicalism」~「禍(まが)」~「I SHOUD TELL YOU」は、今回の『do-LIVE!』の中核となる演目です。
私は初めて合奏を聞かせてもらって、その構成の斬新さに『do-LIVE!』の取り組みへ一層想いを深めるとともに、重責も感じました(詳細は下記&翌日談に譲ります)。


合奏が終わると同時に、その曲目をめぐってのミーティングになりました。
今回は浜田さんが議題を公にしていますし、みんなにとって大切なことでもあるのでそのまま書きます。

上にあげた「Tropicalism」と「禍(まが)」について、北田さんの思いとして浜田さんにずっと前から伝えていたことがありました。それは、
「再生や再起を表現するためとはいえ、被災していない自分が被災者の前で混乱や破壊を示す曲を演奏することはとてもできない。浜田さんの演出に敬意を持っているし、当然曲目を変えてほしいと言うつもりもないけれど、自分だったら辛いことを思い出したくないし、今回これらの曲を入れるのであれば参加を断念することを考えている」
というのが大意だったと思います。

これについて決して議論や説得という意図ではなく、参加を考えているメンバー全員が自分自身はどう思うのか、ということが問われました。突然のことにその場でうまく言葉にならなかった人もいました。

浜田さんからの答えを大別して報告しますと、
1.被災地にはすでに多くの楽団が訪れている。地震7ヶ月後に行くロマが提示するものは、規模・技術力ともにある「大手の」楽団が早い時期にすでに提示したものとは異なるものでなければならない。(それが聴衆に対してだけではなく、メンバー・賛助やこれまでに支えてくれたすべての人に向けて提示し続けるロマのオリジナリティである。)
2.「楽しさ」や「励まし」や「癒し」を表現するだけでは、吐き出しきれていない痛み・苦しみを浄化させることはできない。
3.どのような本番にかかわらずメンバーの想いや趣向によって演目を変えることは絶対にない。それは自分が全責任を負うためである。
4.もし構成が変わる可能性があるとすれば、被災地に下見に行って状況認識を新たにし、自分の考えに変更があった場合だけ。
ということだと認識しました。

このことについては、参加する全メンバーにこれから浜田さんから様々な形で問いかけがあるのではないかと思います。
それによって『do-LIVE!』に出る/出ないが変わる人もいるかもしれませんし、きっと出る以上はなにも自分なりの答えを探さないままでいることは許されないのかもしれません。
そしていつもと同じく、ロマに所属することの意味・意義が関わってくることでもあります。

(長くなりますがさらに続きます。)


* * * * * * * * * *
翌日夜、上記の件について西野さんからこの日の練習参加者全員にメールがありました。

ミーティングの時に自分の意見をうまく言葉にできなかったことについて、改めて考えてみんなに伝え、みんなにももう一度問いかけていきたいというものでした。

内容は西野さんご自身が時をみて掲示板で発信してくださるのではないかと思いますし、他の人がどのような意見だったのかも、当日の参加者の誰かに直接聞いてもらうのがよいと思うので、ここでは割愛いたします。

これを読んでいるみなさまはどうお考えですか?


私は、普段は仕事でもなく要請もされていない責任ある立場でもない限り、人前で自分の意見を述べるのは嫌いですし、誤解を恐れずにいえば、ましてロマでは「オンガク」の趣向や表現についてメンバー個々人の意見や感性が求められるあるいは反映されるということが極力ない所といってもいいと思うのですが、その場にいた一人として日記担当者になった機会を借りて私自身の考えを書いてみようと思います。
当日のミーティングのときに自分が発言した内容とほぼ同じです。


「トロピ」「禍」を含む一連の楽曲構成は『do-LIVE!』の趣旨としてとても意義あるものだと思いましたし、私の感情に沿って聴いていても、喪失や悲嘆の心理に無理なく寄り添ってくれるように感じました。
一方で北田さんの仰ることもよく理解できます。

ただ問題は、そのような「破壊的・悲愴的表現」の曲をやるかやらないかではなくて、それら一つ一つの楽曲を通して演者自身がどれだけ「被災者の苦しみ」と向き合えるかどうかということだと考えています。

たとえば、では「アンパンマン」のような曲だったらば気楽にできるかというと全くそんなことはなく、「アンパンマン」に表現される愛や勇気・生きる希望といったようなものを、被災地まで行って観る人に分けてあげられるくらいの力があるかというのが問われるわけです。
それを考えながらコンテ練をしていたとき、正直今の自分にそんな元気はないと思ったのも事実です。
それでも「トロピ」や「禍」を含む今回の楽曲を通して、震災の傷に向き合う努力をしてみる意味は自分にとって大きいのではないかと今のところ思っています。

演出家だけでなく演者一人ひとりがそういう思いで取り組んでいれば、たとえ破壊的・悲愴的表現の曲であっても被災者の方は、私たちが喪失体験を共有していなくとも精一杯共感してくれたと受け取ってくださるはずですし、
明るい楽しい曲だけであって何も考えないで演奏すれば、自分たちの禍(わざわい)を単なる表面的なエンターテイメントにされたと憤りを感じるかもしれません。


今回は、対象となるのが震災によって精神的、身体的、社会経済的に少なくとも何らかの傷を負っている方々が中心であるということが特徴だと思います(その対象の違いすらも、ロマの音楽構成の本質には影響しないと浜田さんが言っていたのもここにあえて追記した上で)。

しかし、もっといえば被災者を対象とするものでなくとも、『Carnaval.』であれパレードであれ(TV依頼とかは例外かもしれませんが)、表現者として人前に出る以上、演者である自分がすべきことはいつも一緒だと私は思っています。

技術的には乏しかったとしても、その楽曲を通して自分なりに全力で音楽に向き合うことが不可欠で、それは個人的な思いや価値観を超えなければできないことですし、そこには必ず「痛み」が伴います。
「身を削って」という言い方が一般的かもしれません。曲の明暗・陰陽に関わらずです。

そういう意味で、どんな本番でもその楽曲の意味や背景をよく考えずに演じることも、逆にその楽曲の意味や背景を知らずに反対することも、私には考えられません。

以上は私個人の意見でした。


ロマあるいは『do-LIVE!』に参加されるみなさまが、何をどのように考えるかまたは考えないかは浜田さんが一番知りたいと思っているでしょうし、なによりこういう機会に話し合いが持てること自体に最も意味があることだと思っています。 (ゆみ)